So-net無料ブログ作成

いま田母神論文を読む [意見・反省・研究]

  
2014年1月19日(日)月歴12月19日 2013年Blog
  
僕は自分の事を「右寄り」だとは思っていない。
ただの「保守主義者」だと思っている。

学生運動のデモに参加した大昔を思うと大違いだ。
あの頃は無知で何も知らなかったからだ。

このような事は毎回書いてるのでこれ以上今日は書かない。
「主権回復の日」に新聞を考える(Blog)

IMG_3998.JPG

僕は母と食事以外にも週に数回一緒にお茶をする。
話題はたわいないものがほとんどなのだが、政治の話もする。

ウェインとも政治の話をたまにするがこれは伝統なのか?(笑)

さて、アッコさんがバラの剪定に2週間かかった庭を見ながら
昨日は母と都知事選の話になった。

「細川さんと小泉さんは年寄り過ぎないかい?!」

おやおや、端から過激な発言ですね。
自分だってお年寄りなのに。(笑)

僕は
「脱原発を一番に掲げること自体おかしい!」
「だって、最終処分のない脱原発は当然の事。
それを一義にするのはスタンドプレーに近いよ!」

「それより今は経済を良くして東京オリンピックを成功させる事でしょ!」

母は「だったら田母神(たもがみ)さんは?」
「あの人は悪いことして自衛隊を辞めさせられたんだよね?」

実はこれに関して僕は正確に答えられなかったのだ。
そこで、今朝は朝から田母神さんのことをじっくり調べた。

2007年 3月:第29代航空幕僚長
2008年 10月31日:民間の懸賞論文へ応募した作品が政府見解と
対立するものであったことが問題視され幕僚長を更迭、航空幕僚監部付となる。
同日付で「航空幕僚長たる空将」から空将となったことにより一般の将と
同様の60歳定年が適用、6ヶ月の定年延長が発令。
田母神俊雄(wikipedia)

この田母神論文は当時のマスコミをおおいに賑わしたのだが
僕はその当時はこの論文をちゃんとは読まず批判していたのだ。
[ 1578] Veterans Day に思う 記入2008年11月14日

今回、この論文の経緯
「真の近現代史観」懸賞論文(wikipedia)

田母神さんご自身の意見
田母神俊雄公式サイト -ご挨拶-

その反対意見
田母神・前空幕長の論文から思うこと 石破茂(いしばしげる)ブログ

いろいろ読んだ。
そして今日の末尾にその全文を載せるが、まずwikipediaから抜粋してみる。

「日本は侵略国家であったのか」

論文の概略は「日中戦争は侵略戦争ではない」「日米戦争はフランクリン・ルーズベルトによる策略であった」とする自説を展開し、日本政府は集団的自衛権を容認すべきであると主張したものであった。 以下は要略である。

対中関係
・日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが、相手国の 了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。
・蒋介石国民党の間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下 に軍を進めていた。
・1936年の第二次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国 民党内に多数入り込んでいた。
・『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(ユン・チアン、講談社)や『黄文雄の大東亜戦 争肯定論』( ワック出版)、『日本よ、「歴史力」を磨け』(櫻井よしこ編、文藝春 秋)」によれば、1928年の張作霖爆殺事件は関東軍の仕業ではなく、コミンテルンの仕 業であるという説が極めて有力である。
・東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け 人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言している。
・したがって、我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
・我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をした。これは朝鮮半島の支 配統治から明らかである。
・コミンテルンの工作を受けたアメリカは蒋介石に戦闘機100機からなるフライングタ イガースを派遣するなど陰で支援しており、真珠湾攻撃に先立つ一箇月半も前から中国 大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していた。

対米観
・ルーズベルト政権の中に300人のコミンテルンのスパイがいた。(ベノナファイル、 米国公式文書)
・財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトはコミンテルンのスパイかつ日本に対 する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であり、彼はルーズベルト大統領の親友であ るモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、日米戦争に追込んだ。
・ルーズベルトは戦争をしないという公約で米国大統領になった為、日米開戦のために 見かけのうえで第一撃をさせる必要があった。ルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠 湾攻撃を決行した。
・もしハル・ノートを受け入れていたら、一時的に戦争を回避出来たとしても、当時の 弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第二, 第三の要求が出てきたであろうこ とは容易に想像がつく。結果として白人国家の植民地である日本で生活していた可能性 が大である。
・人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自 ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならな い。
・アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なと きに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親 に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。

戦後社会

・東京裁判は戦争責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマイン ドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。そのマインドコントロー ルのために、自衛隊は領域の警備も出来ず、集団的自衛権も行使も出来ない。武器使用 も極めて制約が多く攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊 は雁字搦め(がんじからめ)で身動きできない。
・パリ講和会議に於いて、日本が人種差別撤廃を条約に書込むことを主張した際、英国 や米国から一笑に付された。日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人 種平等の世界が来るのが、あと100年ないし200年遅れていたかもしれない。
・多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要があ る。
・日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多い。日本 軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。
・もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家で なかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということに はならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。以上のことから日本が 侵略国家だったなどというのは濡れ衣である。

「真の近現代史観」懸賞論文(wikipedia)より

これを読んで感じるのは「日本が侵略国家であったというのならば、
当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。」

ここだ。これは分かる。しかし航空幕僚長が公に出して良い文章かどうか
そんな事は誰に聞いても間違っていると思うだろう。

田母神さんは田母神俊雄公式サイト -田母神論文-に書かれた経緯の中で

「この論文募集に応募するなど考えたこともなかったが、常々、部下たちにも
自学研鑽のため雑誌や新聞などへの投稿を勧めていたこともあり、
応募してみるかという気になった。」と書かれている。

これはやはり軽率としか言いようがないだろう。しかし、

「懲戒免職を検討したが、田母神が辞職を拒否し懲戒調査に応じる姿勢を見せたため、
2009年1月21日である幕僚長としての定年までに手続きが間に合わないと判断し、
幕僚長解任・一空将となっての幕僚監部付を命じて更迭処分とした。
この処分により定年が縮り、11月3日付けで定年退官となった。」
「真の近現代史観」懸賞論文(wikipedia)より

この定年になる時期、万が一の懲戒免職には間に合わない時期を見越して
発表していたとすれば、田母神さんは大物だ。

そして

「日本には反日的言論の自由は無限にある。日本のことをいくらでも悪く言うことができるし、
それによって国会が紛糾することもない。一方、親日的言論の自由は極めて制限されている。
特に自衛隊に関することと歴史認識については言論が封じられ、言っただけで問題を引き起こす。
今回の私の論文がその典型である。問題になるのが分かっていて何故言うのかという疑問が
あるだろう。それは問題にしないということは少しずつ反日に同調するということを意味するからだ。」田母神俊雄(wikipedia)より

この田母神さんのマスコミ、日本社会の偏執的とも言える自虐的な発想が
少しでもなくなれなば!という思いは全く賛成出来るのだ。

結論「田母神さんは更迭されたのは当然。しかし論文は間違っていない!」
そう、これから母に伝えようと思う。(笑)

さて、都知事選だ。田母神さんではこの性格では危うい気がする。
では、本当にふさわしいのは誰だ?

繰り返すが
「それより今は経済を良くして東京オリンピックを成功させる事でしょ!」
こういう人に一票入れよう!


「日本は侵略国家であったのか」

田母神俊雄

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追及されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようなものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追及するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為に、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 1928年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論(黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よし子編、文芸春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の盧溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「盧溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争(岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932年1月には3千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、1945年の終戦時には5千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかつた満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

 我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年の大阪帝国大学、9番目が1939年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。

 また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ほんさいく)という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で有名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1期後輩には金(きん)錫源(そぐぉん)大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下より金鵄勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(かおうきん)もいる。

李王朝の最後の殿下である李垠(いうん)殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠(いうん)殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠(いうん)殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であったが高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠(いうん)殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀(ふぎ)殿下の弟君である溥(ふ)傑(けつ)殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 時間は溯るが、清国は1900年の義和団事件の事後処理を迫られ1901年に我が国を含む11カ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「盧溝橋事件の研究(秦郁彦)、東京大学出版会」。また1915年には袁世凱政府との4カ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4年後の1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編(渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36年後の盧溝橋事件の時でさえ5600名にしかなっていない「盧溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会)」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したため、遂に日米戦争に突入し3百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きづり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコンミテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。

 そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943年から解読作業を開始した。そしてなんと33年間もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。

 ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本に生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

 さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお蔭で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

 一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を所有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は60年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実行支配が続いている。

 東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの手で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。

 自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いこともしっておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

 日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみ。



nice!(2)  コメント(7)  トラックバック(0) 

nice! 2

コメント 7

コナ

同感なり!

訳あって期日前投票せざるを得ないけど、こんなに気合い入れる期日前一票は、これまでないね。
by コナ (2014-01-19 09:17) 

いであ

コナちゃん、ども!

ありゃ、投票日いないんだ!
僕は、しかし、イマイチ知事選がのらないんだ。
実は田母神さんが私心なくて一番かと思ってたんだ。
調べたらどうも違うかな?って。(笑)
そうかと言って他の候補もなー

by いであ (2014-01-19 10:30) 

コナ

細川さんだけはないなぁ~。
そんな想いなんです。
都民としてね。
by コナ (2014-01-19 11:14) 

NO14Ruggerman

お母さんとの対話が微笑ましいですね。
私も先日観てきた映画「永遠の0」にいたく感動したので
自分の母へ一緒に観ようと誘っています。

by NO14Ruggerman (2014-01-19 11:30) 

いであ

ラガーさん、ありがとうございます。
永遠の0、評判いいですね。
ウェイン=息子も見に行って感動したとFacebookに書いてました。(笑)
お母さんとの話、またBlogに書いてください。

by いであ (2014-01-19 11:59) 

song4u

主戦メンバーが全員65歳以上というのは、少し悲しく感じました。
65歳と言えば、定年後再雇用でも雇い止めが多い対象年齢です。
しかし、中には70歳オーバーの元首相経験者の方もおられるようで、
何をお考えなのか、ぼくにはちょっと信じられません。

ぼくなら、もっと若い世代に首都東京の切り盛りをしてもらいたい。
無論、年齢だけで決めつけるのは間違いですが、それにしても、
候補者はせめて50代後半までで、2期・8年ぐらいの長期スパンを
見込んでほしいなあ・・・と思うのですが、如何でしょうか?

あ、でも、よくよく考えたら、ぼくはもう都民じゃなかった。
部外者が余計なことを言うのは適切じゃないですね。
見なかったことにして下さい!(笑)
by song4u (2014-01-19 22:34) 

いであ

song4uさん、おはようございます!
そうですね。65才以上か・・・
僕らもそろそろそんな年齢ですよね。まだ元気だからいいかな?って思います。(笑)
問題は政見です。
ただのパフォーマンスで出られる方が見受けられます。
殿ご乱心をなどと言ってる場合ではないです!
東京は予算規模で言えばどこか小さい国なみです。国政選挙なみだと思います。
じっくり見て投票します!


by いであ (2014-01-20 07:02) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0